2019年08月24日

本当に大丈夫なのか韓国経済は!

8月23日にGSOMIAを破棄した韓国の文政権。面子ばかり気にしていて自国民のことを大切にすることを忘れていないか。他人事ながら余りにも状況判断が幼稚である。You tubeで韓国の国会風景を見たことがある。女性議員が真っ当なことを発言している時にヤジが飛び交い、発言が長時間中断されていた。文政権は今後2年間の任期があるが、それよりも韓国経済が2年間耐えられるのだろうか?韓国の皆さん、早く眼を覚ましましょう!
posted by ケチ at 22:48| 大阪 ☔| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

濱口梧陵の稲むらの火と「世界津波の日」

東日本大震災後の2011年6月に日本が申請し、国連で安政の大津波の稲むらの火の美談にちなんで、「世界津波の日」が制定された。そして、今回「百世の安堵〜つまみと復興の記録が生きる広川防災遺産〜」が日本遺産として認定されたようで、誠に素晴らしい事である。自身、白浜への途中に、時々広や湯浅のまちを通ることがある。70年前の記憶が蘇りいつも大変懐かしい。広小学校で学んだ4年間の思い出は、自分史の数ページを占める。濱口梧陵氏が創立したという耐久高校には行きそびれたが、親友の戸田君、木村君たちがそこで学び、生命保険会社や製鉄会社で活躍の後に、今は定年退職後、千葉県と神奈川県に住んでいる。また、以前に親類の葬儀の席で、津木の山は濱口興産へ売ったと聞いたことがるが、真偽の程は定かではない。数年前に町から、地積図を作成の為の測量に立ち会って欲しいとの通知があり、山奥へ行った。山の周囲のへたの部分が数か所あったが、山奥で、全く値打ちがない半端な土地なので、処分せずにその儘にしている。
posted by ケチ at 22:08| 大阪 ☔| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

紀州出身の偉人、濱口梧陵氏の広川町

安政元(1854)年11月5日の大津波の時の「稲むらの火」から後に濱口梧陵氏が私財を投じて作った広堤防のお陰で、昭和21(1946)年に起こった昭和南海地震(=大津波)の時に、村は大きな被害を免れた。実はこの津波を小生自身が体験している。浜の方から「津波が来るぞ!!」jとの声があり、母親と3人の妹と共に必死で広八幡神社まで走って逃げて難を逃れた。しかし翌日、帰宅途中で被害現場を見たら、紡績の社宅の多くは柱だけになっていたし、逃げ遅れたのだろうか紡績の女工さんの死体もころがっていた。紀州が生んだ偉人の話を知ったのは、かなり後になってからである。

posted by ケチ at 21:29| 大阪 ☔| Comment(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

濱口梧陵生誕200年プレイベント

防災の日(9月1日)に紀州広川出身の濱口梧陵のシンポジュームの案内を産経新聞で見つけて応募したが、昨日、抽選に漏れたとのハガキが来た。日本遺産認定記念シンポらしい。私自身、この有田郡広には6歳から広小学校4年生の6月まで住んでいて、住まいの近くに濱口家の屋敷があったし、天洲の浜や広の堤防でよく遊んだ場所である。戦前の教科書に「稲村の火」が載っていた。安政元年(1854)11月5日に安政大地震(大津波)が発生した時に、濱口梧陵は稲むらに火をつけて村人の命を救った。その後、氏は私財を投じて全長652メートル、高さ3.4メートル、上部幅7メートルの広村堤防を作ったらしい。濱口家は千葉の銚子のヤマサ醤油を創立した家で、紀州が生んだ偉人である。選に漏れたのは誠に残念である。
posted by ケチ at 20:59| 大阪 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする